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28.武蔵国分寺プランの独創性 [武蔵国分寺の不思議を探る(テキスト版)]

Ⅵ.今も生きている都市計画

28.武蔵国分寺プランの独創性
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塔と中枢部が他に類例を見ないほど非常識なまでに離れていることがいつも問題になってきた。しかし類型にあてはまらないことはそんなに問題なのだろうか。類型というのは後年作られたものだ。諸国国分寺建立の草創期において「塔が離れすぎているのは非常識」という常識があったかどうか、はななだ疑問だ。むしろ武蔵国分寺プランは、地域特性にマッチするよう精緻に練り上げられた都市計画なのではないだろうか。

国分寺造営は天皇杯コンペ?
武蔵国分寺は諸国国分寺のどことも似ていない、優れて独創的な寺院だということがわかってきた。もっとも他の国分寺同士もあまり似ていないものが多い。それぞれの地域の実情に合ったものが工夫され、またそうすることが求められたのだろう。
六十余の諸国に巨大タワーの出現を思い描いた聖武天皇の発想自体が、思えばあまりにも荒唐無稽だ。聖武発案の国分寺建立プロジェクトとは、天皇杯をかけた壮大なコンペティションだったかもしれない。
天平時代は優れた文化が海外から流入した刺激的な時代であった反面、災害や飢饉や疫病が蔓延し政情が不安な辛い時代でもあった。疲弊した諸国の民衆にとって、国分寺建立の大プロジェクトに借り出されることは、迷惑この上ない苦行だったに違いない。しかし反面、帰化人の入植が盛んで有力な豪族がひしめきあう武蔵国においては、このコンペに熱心に取り組もうという気運がたかまっていたのではないだろうか。
諸国国分寺の造営プランは中央からモデルプランが示されたと言われるが、そうだろうか。それに従ったにしては武蔵国分寺はあまりにも独創的だ。筆者は地元住民なので武蔵国分寺跡は日常の散歩道だ。遺跡地図と磁石を携えて寺院地のロケ-ションを確かめて歩くことはまことに楽しく、自然景観を巧みに取り込んだロケ-ションは、見れば見るほど精緻で美しく感動的だ。そして、これは1200年前の道筋なのではないかと思える場所が意外なほどたくさんある。地域特性にマッチするよう精緻に練り上げられた都市計画は、途方もなく長持ちであることに気づかされる。

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